2010年12月2日木曜日

将来の夢

1、将来の夢について

■先日、卒業アルバムの案内が出ました。アルバムに収録される文集の作文も、「将来の夢」「未来の自分への手紙」といったテーマで書かせています。このテーマについて自分のことを振り返ってみますと、小学校の頃の夢は、学校の先生になることでした。きっかけは二つあります。
■まず、祖父の影響です。小さい頃、一緒に住んでいた祖父は、教員でした。祖父は、物知りで色々なことを教えてくれましたし、何をきいてもきちんと答えてくれました。また、いつも冷静で穏やかな人でした。教壇に立つ祖父を見たことはないのですが、祖父のようになるために同じ職業に就きたいと思ったのです。
■次に、小さい子の面倒を見ることが好きだったことです。小学生のころ住んでいた家の近くには、自分よりも年少の子がたくさんいました。そんな子たちとよく遊んでいて、近所の方から「和彦君といたら安心ね。」などと言われることがよくありました。とてもうれしく、誇らしく感じたことを今でも覚えています。「そうか、子供の面倒を見るのが得意なんだ。では、そんな仕事が自分には、あってるのかもしれない。」これも教師を志した大きな理由の一つです。
■そして、夢の実現のために、25Mを泳げないと教員になれないと知るとスイミングスクールに通い。スキーが必要と分かれば嫌々冬の山に出かけるなどの努力を重ね今に至ります。音楽だけは、最後まで苦手だったのですが、大学生の頃、ピアノ教室に通いバイエルから練習しました。実際に教壇に立つようになって、祖父のようになれているかは、わかりませんが、子供たちの人生の大切な一時期に関わることのできる素晴らしい仕事だと日々感じています。
■ご家庭で、子供たちと将来の夢について話をすることはありますか? 夢の実現のためには小さな練習の積み重ねがとても大切です。「○○は将来、何になりたいの?」そんな話から日々の生活を見直すことも大切かも知れません。


2、「練習」ということについて

■教室で行う全てのことは、世の中に出たときのための練習だ、というようなことを子供たちによく話します。「練習」について、フランスの哲学教師アランは次のように定義しています。
『リアルな行動に向かって自分を準備することを目的とする行動。ぼくはソナタが弾けるように音階練習をする。ぼくは戦うことができるように剣術を学ぶ。ぼくは英語の先生以外の人とも話せるように英語を学ぶ。練習の意味するところは、一つの運動を他のすべての運動から区別することによって、むつかしい点を分けるということである。(中略)一つの円を描こうと思ったからといって、円が実際に描けるわけではないのだ。したがって、練習は欲するわざの大部分を占めている。』
■学校で行うことのほとんどは、社会の様々な事柄につながる練習です。漢字も計算も友だちとの仲違いもです。無駄とか、意味がないとか言って切り捨てるのはもったいないことです。

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