2010年12月8日水曜日

防雪林

1、社会科は上巻から下巻へ

■社会科は、上巻の学習が終わりました。来週の学力テスト後から、下巻に入ります。教科書の切り替えをする時期は、いつも忘れ物が増えます。時間割に社会科が入っている日は、教科書の確認に一声かけてやって下さい。
■さて、下巻からは、政治など公民分野の学習に入ります。歴史分野の終わりに際し、石狩の昔の様子が描かれた小説がありましたので、紹介します。蟹工船で有名な小林多喜二が書いた防雪林です。防雪林は、秋味(鮭)の密漁で石狩川の冬を凌ぎ、渾身の力で地主に抗う農民の若者を描いた未定稿です。
■当時の石狩川は洪水の多い川でした。泥炭地が広がる石狩平野は洪水の度に何日も田んぼのような状態になっていたと言います。百数十年前の先人たちの姿に思いをはせると、今の私たちの暮らしがとても有り難いものに思えます。


2、小林多喜二『防雪林』

 十月の末だつた。
 その日、冷たい氷雨が石狩のだゞツぴろい平原に横なぐりに降つてゐた。
 どっちを見たつて、何んにもなかつた。電信柱の一列がどこまでもつづいて行つて、マツチの棒をならべたやうになり、そしてそれが見えなくなつても、まだ平であり、何んにも眼に邪魔になるものがなかつた。所々ほうきのやうに立つてゐるポプラが雨と風をうけて、搖れてゐた。一面に雲が低く垂れ下つてきて、「妙に」薄暗くなつてゐた。烏が時々あわてたやうな飛び方をして、少しそれでも明るみの残つてゐる地平線の方へ二、三羽もつれて飛んで行つた。
 源吉は肩に大きな包みを負つて、三里ほど離れてゐる停車場のある町から帰つてきた。源吉たちの家は、この吹きツさらしの、平原に、二、三軒づゝ、二十軒ほど散らばつてゐた。それが村道に沿つて並んでゐたり、それから、ずツと畑の中にひツこんだりしてゐた。その中央にある小學校を除いては、みんなどの家もかやぶきだつた。屋根が変に、傾いたり、泥壁にはみんなひゞが入つたり、家の中は、外からちょっとわからない程薄暗かつた。どの家にももうしわけ程位にしか窓が切り拔いてなかつた。家の後か、入口の向ひには馬小屋や牛小屋があつた。
 農家の後からは心持ち土地が、石狩川の方へ傾斜して行つてゐた。そこは畑にはなつてゐたが、所々に、石のかたまりが、赤土や砂と一緒にムキ出しにころがつてゐた。石狩川が年一回――五月には必ずはんらんにして、その時は、いつでもその辺は水で一杯になつたからだつた。だから、そこへは五月のはんらんが済んでからでなくては、作物をつけなかつた。畑が尽きると、丈が膝まで位の草原だつた。そして、それが石狩川の堤に沿つて並んでゐる雜木林につづいてゐた。そこからすぐ、石狩川だつた。幅が広くて底気味の悪い程深く、幾つにも折れ曲つて、音もさせずに、水面の流れも見せずに、うねうねと流れてゐた。
小林多喜二『防雪林』 より

0 件のコメント: