2008年2月14日木曜日

東京での研究集会-0202-0204

はじめに
第19分科会「情報化社会と教育・文化活動」は初日が全体で、2日目以降は二つの小分科会に分けて進められた。第1小分科会は「学校や地域における文化活動」を中心に、第2小分科会は情報化問題を中心に扱った。
私が参加したのは第2小分科会である。初日に行われた合同の分科会では、この第19分科会で扱うテーマについて、参加者全員で議論を行い、それぞれの分科会で検討し、課題を明らかにしていった。この初日の議論がこの後それぞれの小分科会に分かれて扱う内容について全体で共通理解を図るために効果があった。
2日目以降の第2小分科会ではレポートを次の4つの柱にそって分類し、討議が進められた。まずは、授業でのICT活用。次に、情報モラル。そして、読書指導と学校図書館活動。最後に、リテラシー教育である。以下、それぞれの討議の柱ごとに、議論された中身を簡単に説明していく。

1,ICT活用
授業でのICT活用が柱のパートは教育方法の情報化に関する報告が中心であった。千葉や新潟、神奈川からコンピュータやOHC、アプリケーケーションソフトなどの情報機器を活用した実践が報告された。ここでのICT活用のねらいは教科教育の中で「わかる授業」を実施することにある。通常、見ることのできない血管を流れる血液の流れや面積を求めるための図形の変形をアニメーションで見せるなど、児童の興味関心をひき、理解を深めるためのツールとしてICTが活用されていた。また、ICT活用の効果について児童の感想やアンケートなどのデータが示されていた。
昨今、普通教室で行われる通常の授業へのICT活用については様々な機関による調査が盛んになされ、その教育効果が報告されている。しかし、道内はまだまだこれからの学校が多い。地域による格差を無くし、どの学級でも日常的に実施していくためにはハード面の整備や授業への導入を支援する体制づくりなど、いっそうの条件整備が必要である。

2,情報モラル
今日、インターネットはコンピュータや携帯電話を介して私たちの生活の隅々まで浸透した。そのような状況下で、私たちがもっとも注意を払わなければならない課題の一つが情報モラルである。情報モラルのパートでは小学校(Eメール)、中学校(出会い系サイト)、高校(携帯電話)とそれぞれの立場からの実践報告がされた。
どの発表にも特徴的だったことは、単に教師が説明をするのではなく、問題について一人一人がどのように考えるかを議論するような形式をとっていたことである。情報社会について考えていくためには理念だけ教えていてはダメである。具体で問いかけていくことが必要だ。これは講義形式ではなかなか伝えられない。具体的な事例を元に議論するなど、演習形式が必要である。具体的な事例を元に考えることで子供たちは自分事として情報モラルを捉えることができるようになる。今後の情報モラル指導について大きなヒントをいただいた。

3,読書指導
読書活動が柱のパートでは朝の読書、国語の時間の十分読書の実践例が報告された。朝読書の効用については広く知られるところである。しかし、議論の中ではその「強制性」が問題視され、推進について慎重に検討すべき、との意見もあった。読書は極めて個人的な営みであり、それを無理強いするのはいかがなものか、という考えである。一方、朝読書を進める側からは読まない子供がこれほどまでに多い現状を考えると、教育内容として考えていく段階にある、という主張があった。
どちらの立場にも共通なのは「本を読む」ことの大切さについてである。本を読むことが嫌いにだけはさせてはいけない。

4,学校図書館活動
学校図書館活動が柱のパートで高校の司書の方がお話しされた次の言葉が頭に残っている。「学校図書館は活用されてこそ生きる場所である。」いかに図書館を活用してもらうかということについて、この言葉を体現するような実践例がいくつも報告された。実践例としては大きく分けて4種類あった。図書館環境の整備(図書館自体を使いやすいものに整備するもの)。イベントの企画(子供たちが喜ぶイベント(読み聞かせ・ブックトーク・誤植百人一首・辞書引き大会)を仕掛けるもの)。情報発信(広報誌や校内放送などで情報発信を試みるもの)。授業との連携(調べ学習などの支援を行うもの)。
印象に残っているのは小学校での取り組みが図書館を楽しい場所に、本嫌いにしない、ということが中心であったことに対して、高校での取り組みが情報を扱うための手続きの仕方を知らせる、授業作りのコーディネートなど図書館の活用に重点を置いていた点である。趣味の読書から実用の読書へとステップアップを図るためには小学校や中学校でも「活用」の部分に注目した実践を行っていくことの必要性を感じた。

5,リテラシー教育
リテラシーとは「読み書きの能力。識字。転じて、ある分野に関する知識・能力。(広辞苑より)」のことを言う。リテラシー教育のパートでは北海道や静岡から情報を扱うリテラシーを体系的に指導することについての報告があった。情報を扱うリテラシーとは、情報を収集したり、集めた情報について判断したり、自ら情報を発信したりする能力を指す。報告の中では特に、情報活用能力を育てるためには図書館、コンピュータ(ネット)、メディアを効果的に利用させていくような指導が重要であるとの指摘があった。
情報化の進んだ現代は図書だけ、ネットだけという段階ではない。また、図書を使うにしてもネットを使うにしてもどのように調べるのか(テーマの絞り方・資料の探し方)、調べたものをどのように生かすか(引用・要約・著作権)を考えさせていくことが大切である。また、これまで情報教育というとコンピュータに限定した実践が多かったが、今回の集会では図書などの紙媒体のメディアを扱うことの重要性も盛んに取り上げられていた。今後、「情報」というものに対して、指導する教師自身が認識を新たにしていく必要がある。

あらためて考えさせられたこと
司書教諭の役割について。司書教諭は情報を扱うスペシャリストである。調べ学習のレファレンスを行うことで子供たちの学びを支援することができる。また、担任との積極的な連携によって授業作りのコーディネートなどでも大きな役割を担うことができる。授業の教育効果を高めていくためにも、このような役割を担ってくれる専任司書が各学校に配置されることが望ましいと考える。
この小分科会では大きく2つの内容が話し合われていた。情報教育についてと教育方法の情報化についてである。図書館とネットの部分は情報教育として共通する部分が多い。情報化が進んだ現代、情報をどのように読み解くか、その指導をどのように進めるかは極めて重要な課題である。一方、ICT活用に代表される教育方法の情報化についても近年注目されている内容であり、その教育効果は大きい。どちらも大切なことは疑いようがない。しかし、それぞれ別の課題である。同じ分科会の中で扱うにあたって、議論の仕方などを検討していく必要がある。

おわりに
私の参加した分科会では「情報」を柱に様々な実践が報告された。中学校や高校など校種の異なる正会員のレポートや発言にはたくさんの示唆をいただいた。集会に参加した3日間の学びは大きなものだった。
専門的な部分についてはもちろん。特に考えさせられたのが教育活動に向かう私たちの姿勢についてである。それはいかなる教育活動を行うにしても私たち自身がしっかりした目的やねらいを持ち、実践していくことが大切だということだ。今、教育界には様々な要求が突きつけられている。あらゆることにスピードが要求され、結果が求められる。そのような中にあって、今一度立ち止まり、何が大切かを問い直していくことはとても大切だ。哲学を持つことの必要性を感じた。

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