2015年12月3日木曜日

授業公開月間の様子から

 昨日、授業公開をしていた担任のことです。授業はテンポもよく、一時間で子どもの変容が確かにみられるよいものでした。
 授業の終りに確認した問題にも全ての子どもが正答を答えられていました。でも、本人は満足していないみたいです。
 授業は3年生の分母の同じ分数の加法の場面です。具体物をイメージさせるような問題提示から面積図を使った問題解決を行い、計算の仕方を学ばせた授業でした。子供たちは一時間、しっかりと考え、活動し、すごくいい授業でした。
 しかし、授業者本人は、全員に単位分数のイメージを理解させられていたか、という点でもっと方法があったのではないかとふり返っていました。こういうことを考えられるかどうかが、実は、授業作りのセンスの分かれ目になるのではないかと思います。
 内容だけを見ると分母は足さずに分子だけを足し算する学習です。とっても簡単に見えますし、「これはこうするんだよ。」と教師が説明してしまえば、全員ができるようになるでしょう。(時間がないときはそんなこと、してしまいがちです…)
 ですが、ここで分母が何を意味しているのかを理解させ、だから足さないんだというところまで気づかせることができれば、異分母の足し算で通分する意味(単位分数をそろえる)がもっとわかるようになるのではと思います。そのために何が必要か(具体物かコンテンツか)を考えることができるかどうかが結構、大事なポイントだと思います。
 一時間でどれだけ効率的に指導するかだけを考える教師と、教科内容を意味をとらえて、本質に迫らせようと考える教師とでは短期的には変わらないように見えても、長期的には大きく差が開くように感じます。これは、指導された子供たちも、指導する教師自身もです。
 とは言っても、限られた時間で何時間も教材研究をするなんて現実的ではありません。ただし、単元を見通して一時間一時間の授業を作る、ただそれだけでも大きく見え方が変わるのではないかと思います。単元の目標があって、本時の目標は何か。そんなことを考えていくと、自然と本質が見えてくるのではないかな、などと考えています。(見えないときもあるか…)
 余談ですが、ここで触れた担任は、公開しない前時の授業も略案をつくっていたみたいです。今年、市教研の生活科部会で授業をした隣の学校の先生も本時だけでなく、全ての時間の流しをきちんと考えていました。詳細なものまでなくても、やっぱり全体を見ることを意識する人は授業が違うと思います。
 授業できるって、いいなと思う寂しい担外でした。

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