2016年9月18日日曜日

社会科の教科書にラインを引くこと

メモ
今年、久しぶりに6年生の社会科を教えていて感じたこと。
子供たちはこちらが思っている以上にキーワードが拾えないということです。
これは決して子供がダメだと言っているのではありません。
そもそも初めて触れる内容に対して何が大事なのかなんか分かるわけがないです。
例えば、専門外の書籍を渡されたとします(建築とか医療とか何でもいいです)。
「このページのキーワードは何ですか?」とたずねられたって、そもそも書かれている内容さえ理解できないような状況で、何が大事かなんて分かるはずがありません。
子供たちにとって、教科書の記述だって同じようなものなのではないでしょうか。
教師にとっては「当然」と思われる言葉だって、子供たちにとっては全く「未知」の存在です。
幹なのか、枝葉なのか、判断のしようがありません。
ですから、まずは「何がキーワードになるのか」ということも教えてやること。
そして、キーワードを中心に考えていくと内容が理解しやすくなる、という成功体験をたくさん積ませていくこと。
この繰り返しが大事だと思いました。
2学期に入り、子供たちの教科書にひかれたアンダーラインが実に的確になっているのを見て考えたことでした。

2016年9月12日月曜日

下水道科学館

昨日は朝から近所の下水道科学館のお祭へ。
(二女は児童館で担当しているコーナーの手伝いで昨日から参加)
出店や大道芸のパフォーマンス、無料のゲームコーナーなんかがあります。
こぢんまりとしているお祭ですが、楽しくて毎年来てます。
算数が大嫌いな二女ですが、二日分のお小遣いを一生懸命考えながら使っている様子が可愛らしかったです。
昨日は、
「200円で150円のかき氷買ったらいくら戻ってくるの?」
とたずねていた彼女、今日は即答で「50円」と返してきました。
「100玉3枚と50円玉1枚でいくら?」
「350円!」
みたいな百の位と十の位の計算もすいすい。
いろいろつながっていなかったものが生活経験の中でつながったみたいです。
授業で理解できていなかった子が何ヶ月後にできるようになっているのは、こういうことなんだろうと思いました。
また、児童間の友だちという小2から小5の子たちと一日中、遊んでいました。
時計持たせて、
「○時に迎えにくるからね!」
「わかった。じゃーね!」
というやり取りで放置でした。
ホントに大丈夫か?と少し心配だったのですが、うまくコミュニケーションとりながら楽しそうに遊んでいました。
その様子に「いい子たちが周りにいるんだな」と思うとともに「こういう異学年のごちゃっとした関わり」が娘の周りにあることが、なんかいいなと思えた一日でした。

メンター研

昨日の放課後、校内のメンター研。
予定していた内容についても話しましたが、そこじゃない部分の話の方がたくさん。
結局、一時間以上、おしゃべりしてました。
私たち、なんて研修熱心なチームなんでしょう(笑)!
話題の中心は算数の授業作りについてです。
ちょうど前日に授業公開をした先生がいたので、授業のビデオ(その先生の授業ではありません)を見ながら、ねらい(教材研究)、子供の実態に応じた授業運営の仕方などの話をたくさんすることができました。
個人的には授業の話がたくさんできて、楽しい時間でした。
そして、こういう話ができることが大事だと思いました。
(一緒に話していた先生方もそう思ってくれているといいのですが)
先日、Amazonに注文していた鈴木敏恵先生の「アクティブラーニングをこえた看護教育を実現する」が届きました。
その中に「看護に求められる「創造的な思考」」について書かれた箇所がありました。
教室にもそのまま当てはまると思いました。
看護の仕事が全ての患者さんに対して同じ対応で済むわけがないのと同じように教室の子供たちへの対応も型にはまった同じ対応ですむものではありません。
目の前の患者の取り巻く現実や課題を把握して解決を図るのと同じように教室の子供たち一人一人の実態や何に対して困難を感じているかを把握して解決を図ることが必要です。
放課後の授業についての話も結局、そういうところの話になりました。
泥臭くてもしっかり子供たちに必要な力をしっかりつけてやれる授業作りができるといいなと思います。

これぞ6年生

これぞ6年生!という家庭学習。
社会科のテストの前日に単元のポイントを整理していました。
当然、テストは両面パーフェクトです。
この子、印象的だったのは月曜日の授業のことです。
「明治維新の改革について自分ならどう評価するか点数を付け、理由を記述する」という学習を行いました。
点数はさっと付けたもののその後の理由の記述がされていませんでした。
机間巡視をしていて気になったので、
「なぜこの点数なの?」とたずねてみると、
教科書のページをさっと開いて、
「ここに~と書いてあるから、私は○点だと思いました。」としっかりとした理由を伝えてくれました。
僕が想定していないようなところを指摘されて、鳥肌が立ちました。
「そこ、書いたらいいよ!」と伝えると、
「いや~(笑)」とにこにこ。
勘や印象ではなく、しっかりと自分なりの考えをもっていること。
教科書の細かな記述まできちんと読み込んで考えていること。
誠実な子だなあと思いました。
結局、そこでは理由を記述できなかったものの(全体の時間設定もあったので書けなかった部分は口頭で説明するように指示)、授業の終わりにもう一度、同じ質問(憲法制定、国会開設を加えて再度評価)をしたときには理由まで記述していました。
この子を見ていて、自分が「理由を書きなさい→書いていない→ダメな子
」みたいな図式で評価していなかったかなと振り返ってみました。
「書けない」、「書かない」にはその子なりの理由があって、そこに寄り添うことで、こちら側が教えられることもたくさんあるなと思います。
指示や発問がまずいことや適切な資料を提示していない場合だって多々あります。
もちろん、単純に「めんどくせー」とか「おれできないもーん」みたいな子を見取った時には厳しく「勉強なめんな!」と指導します(笑)。