2016年3月25日金曜日

2年生からのお手紙

2年生から可愛い手紙をもらいました。
現任校に着任した最初の教え子が会いに来てくれました。
温かいメッセージをいただきました。
なんか、こんな風に自分のことを思ってくれた、その時間があっったことをとても嬉しく思いました。
一日の中でほんのちょっとした時間の、しかも短い言葉かけを覚えてくれていることなどを考えると、教師という仕事がどれほど大きな影響力をもつ仕事かを考えさせられました。
(そうそう、あの時、そんなこと言ってた!ということを子供って覚えているものです。)
この素晴らしさと同時に、何気ない一言がその子にとって大きな意味をもつこともあるという怖さを忘れてはいけないと身の引き締まる思いでした。
もちろん、単純な感謝の方が圧倒的に大きいですけど。

修了式の日に

夕食の準備を手伝ってくれていた山本家の二女が
「にこ、先生にやさしい2年生になれるって言われた!」
と教えてくれました。
とても嬉しそうで、自信たっぷりの笑顔でした。
2年生へ進級することを楽しみにしている娘の姿を見ながら、親としては、学級でよい指導、声かけをしてくれているなと、とても嬉しく思いました。
もしかしたら、何気ない会話の中での先生の一言だったかも知れません。
そんな一言でも、子供にとって、「先生の言葉」は大きいものです。
今日は修了式です。
今の学年・学級での最後の時間を楽しい思い出にしつつも、次の学年・学級への希望をもてるような時間の過ごせるといいな思っています。
(私は職員室ですが…)

2016年3月18日金曜日

閉鎖のこと

今回のインフルエンザによる閉鎖について、練習スケジュールが大幅に狂うなど大きな影響がありました。
ですが、昨日の練習を見る限り、閉鎖の対応については、卒業式練習や学習進度を考えるとベターな選択だったように思えます。
もし、学校閉鎖レベルまで引き上げたり(基準に満たなくても)、怪しいところを全て閉鎖(基準に満たなくても)していたら、5年生の負荷が大きくなりすぎてきつかっただろう(様々なところで破綻が起きていたのでは…。コ、コワイ…)というのが個人的な分析です。
5年生には先週の前半で入退場の合奏をほぼ仕上げ、学年で集まることを停止していた一週間で学習進度をできるだけ進めてもらいました。
そして、一週間後の火曜日に学年練習で微調整を行い、水曜日に6年生の入場と退場に合わせる練習を行いました。
音楽と入退場はビタッと合いました。ホントはじめて合わせたとは思えないほどです!(閉鎖明けで仕上げた6年生と厳しい状況でここまで完成度を高めた5年生に感謝です。)
そんな姿を見ながら、「ベターな選択だったな」と思ったわけです。
今回の閉鎖措置は、管理職や担外で、子供たちの健康(先生方を含む)と卒業式の成功に学習進度、色々なことを精一杯考えて出している結論です。
もちろん、別の選択がもっといい結果を出したかも知れません。
しかし、少なくとも現状を見る限り、今回のやり方でいくしか無かっただろうと思っています。
そして、なんとか卒業式の成功が見えてきたのでほっと安心もしています。
追伸
こういうことを想定して学年での取組のスケジュール(6年と5年の)を立てておいてよかったと卒業式総務係は思っています。

卒業式全体練習1回目のあとで

昨日は卒業式全体練習の1回目(卒業式は土曜日!)
実はまだ4年生が学年閉鎖中という中でしたが、はじめて在校生と6年生が合わさって練習を行いました。
結論から言うと、意味のあるよい時間となりました。
在校生にとっては式の流れをつかむだけでなく、6年生の迫力を肌で感じ(びりびりくるくらい)、さらなる成長を目指すきっかけとなりました。
6年生は、在校生がどれほど6年生を慕っているかを感じ、この学校で過ごした6年間の愛しさをあらためてかみしめることのできた時間になりました(たぶん)。
教師集団にとっては、学校で大事にしてきたことをもう一度、確かめ、ほんの短い時間でも成長できる子供たちの可能性に喜びを感じ、みんなで卒業式を成功させようという一体感を感じられる場になりました。
その証拠に全体練習後は、子供たちも教師も表情が明るく、校内は充実感に満ちた明るい雰囲気に包まれていました。
普段通りの掃除もいつもより丁寧で空気もどこかすがすがしく感じました。
いよいよ今日(金曜日)は卒業式総練習(卒業式は土曜日!)
たぶん今日一日もあっという間です。
できることを手を抜かずにやるだけ。

2016年3月14日月曜日

職員室通信のこと

昨年度、教務になって以来、それまで書いていた学級通信の代わりに職員室通信を書き始めました。
単純に、学級通信を職員室通信に置きかえたというわけではありません。
 担任で学級にだけいると、その他の学級や学年で行われていることはなかなか見えません。
「こんな授業いいですね」「今、学校ではこんな動きがあります」「○年生はこんな取組しています」「ここ大事にしませんか」等々、通信として見えるようにしていくことで、同じ方向を向いて進んでいけるようにと考えてのことです。こんな風に職員室が一丸となっていくために、僕は通信という方法を一つの手段として使っています。当然、人によっては別の方法もあるだろうと思います。僕の場合、一年間安定して続けられて、先生方にメッセージを送れて、という部分で通信がやりやすかったというだけです。
 実はこんな風に通信を出すまで、あれこれ悩んだ一か月間がありました。
 昨年の4月、教務として職員室で過ごすようになって、前任の教務が職員室で担っていた役割をあらためて考えていました。教務としての仕事はもちろん、実はそれ以外の部分で職員に与えていた影響の大きさについてです。
 例えば、放課後に授業の進め方について相談に乗ったり、遅くまで授業作りに付き合ったり(僕は心の中で「加○クリニック」と呼んでいました)。
そんな風にいろいろなやり取りで先生方とつながる中で、学校として大事にしたい基本的な考え方や指導方法についてブレを修正していたようなところがありました(本人から聞いたわけではなく外から見ての分析ですが)。
 では、自分で同じ事ができるかを考えてみたとき、「100%同じにはできない」という結論に達しました。
 授業作りの相談やアドバイス的なこと(たいしたことはできないまでも)はできます。しかし、前任者のように夜遅くまで若者に付き合うのは無理です(保育園のお迎えがあるので大体5時半には帰ってます)。
 そして、キャラクターも大きく異なります。同じ雰囲気でいくと、職員室の和を維持できないなとも思いました(そもそも、そういう空気は耐えがたいです)。
「じゃあ、どんな方法があるのか」と考えてたどり着いたのが「通信」という手段です。最初の通信を出したのが、大型連休明けの5月7日です。ここまで一か月かかりました。
 はじめて通信を出すときは、かなりドキドキしました。「読んでもらえるだろうか…」「そもそも手にとってもらえるだろうか…」「ウザがられやしないか…」そんなあれこれを思いつつも、「学級を外側から見ている人間が何を考えながらそこにいたのか」僕の頭の中身を知ってもらうことも大事だろうと思い、出すことにしました。
 そんな通信を今年も随分と発行してきました。
 最近、嬉しいのは書き手が一人増えて、二人の連名で出せるようになったことです。個人で出すのと、チームで出すのとでは全然違います。「書いてよ」というお願いに「はいっ」と即応じてくれたとこが最高でした(教頭と3人で飲んでいたときに頼んだので断れなかったのか?)。
 彼の書く文章を読んでいると、彼の人柄や大事にしたいことが伝わってきますし、何より書き続ける中で見る目が成長している様子も伝わってきます。